自分の理想の死に方を考えたことがありますか?【人生を逆算する】

通勤中に変なことを思いついて、ちょっと面白そうだから記事にしました。

変なことと言うのは、タイトルの通り「自分がどこでどんな風に死にたいか」ですね。

あ、別に人生が辛いとか、死にたいとか、そういう暗い話ではありませんよ。

どう死ぬかを考えることと、どう生きていくのかを考えることはイコールだと思っただけです。

※個人的には、普通に長生きしたいマンです。

まぁ個人のブログだし、好きなように書きます。

目次

僕の理想の死に方

  • 遺産の手続きやお世話になった人達に手紙を書くなど、もろもろの準備は済ませておく
  • 5、6月の北海道の緑の豊かな場所で
  • 気温20〜23℃くらいで、白い雲と青い空が映える天気の良い日
  • 肌触りのいい心地良い風の吹く日曜日の午前中(A.M 10〜11時)
  • イスに座り、久石譲さんのピアノコレクションを聴きながら、ゆっくり死去

これが理想です。

このシチュエーションから逆算して考えて生きる

上記のシチュエーションを満たしつつ死ぬにはどうすればいいでしょう?

  • 80〜90歳まで生きること
  • 遺産の手続きや、お世話になった人達へ手紙を書き、弁護士に託しておく
  • 緑の多い街に住んでいること
  • 5、6月の北海道の天気の良い日を選ぶこと
  • 座り心地の良いイスと、久石譲ピアノコレクションのCD、及びCDプレーヤーを持っていること

きちんと準備をして、安楽死を選択すればさほど難しくなさそうです。

※この話はすべてフィクションです。安楽死が認められていないのは知ってます。

死に方を考えるのは悪いことじゃない

日本人に限った話ではないんだろうけど、死ぬことを極端に嫌がる風潮ってないですかね?

嫌がるというか、怖がるというか。

もちろんある日突然この世から去らなければならないことを何とも思わない人はいないとは思います。

ですが、死ぬことはどんな生物にも避けることはできません。

であれば、理想の死に方を考えておくのはそこまで悪いことではないと思うんですよね。

むしろ死に方を選べない方が怖いと思う

安楽死とか縁起でもないこと言うなと怒られるかもしれませんが、むしろ死に方をコントロールできないことの方が怖くないですか?

怖いというのもちょっと表現として違うかな…?

交通事故とか心筋梗塞とか、ある日突然、なんの前触れもなく、なんの準備もできないまま意識が遠のいていく時に、人は何を思うんだろう?

ちなみに僕は「圧倒的後悔」だと思う。

例え話ですが、交通事故にあったとして、激しい痛みのあと薄れゆく意識の中で、時間にして一瞬かもしれないけど、物凄くいろんなことを後悔しながら死んでいくんじゃないかなと。

そんな死に方は嫌ですが、自分でいつ死ぬのかを決断しない限り、不慮の事故などの突然死はついて回りますよね。

死に方を考えるからこそ、生き方を間違えずに済む

上記でも書きましたが、どう死ぬかを考えることと、どう生きていくのかを考えることはイコールの関係にあると思う。

であるならば、死に方を(ある程度)決めておけば、生き方も自然と決まってきませんかね?

家族に囲まれて死にたいなら結婚はしなきゃダメとか、遺産を他人に好きにさせたくないなら遺書は書いておこうとか。

あと住む場所も考えながら生きないといけない。

都会のすみっコの寂しくて薄暗いマンションの一室で、心筋梗塞とかで孤独に死んでいくとか、考えただけでシンドそう…。

それなら、天気の良い暖かい日に、心地良い風と、久石譲さんの美しい曲たちを全身に浴びながら、ゆっくりと人生の幕を閉じたほうが、死に方としてはいいですよね。

なので、理不尽な死に方を避け、理想の死に方を実現するために、そのゴールから逆算して生きるというのは、考え方としてかなりアリなんじゃないかと思った次第です。

自分の理想の死に方を考えたことがありますか?

自分がどこでどんな風に死ぬのかなんて、普段あまり考えないと思います。

それでも皆、なんとなく、

  • 80歳くらいまでは生きてるでしょ
  • たぶん入院先の病院のベッドの上で
  • 死因は老衰か癌とかかな

こんな風に考えてないでしょうか?

でもニュースとか見てたら、若い方から高齢者まで関係なく、交通事故とかである日突然亡くなられてますよね。

結局、望もうと望まざると死に方なんて選べないのかもしれません。

ちゃんと生きるために、死に方を考える

自分もいつか死ぬということを考えるからこそ、今生きていることに感謝できる。

どっかで聞いた表現ですが、でもこれは当たってる気がする。

なんとなく惰性で生きてる人は、自分が突然死することなんて考えてないでしょう。

逆に、家族や親しい友人を亡くしたことのある人は、自分が生きていることを当たり前と思わないんじゃないですかね。

  • 自分もいつか必ず死んで、この世から消え去る

そういう当たり前の事実を受け入れるからこそ、つまりゴールが明確になるからこそ、人生という時間(タイムリミット)を意識して生きられるみたいなことですよね、これは。

僕もそうですが、なんとなく生きちゃってる感があるので、自分の理想の生き方・死に方をこんど真面目に考えてみようと思います。

自分の理想の死に方を考えたことがありますか?

目次